鬼才のイラストレーター
原田マハ 著
【 サロメ (文春文庫) 】
原田マハさんのアート作品は大好きで、色々と読んできましたが、オーブリー・ビアズリーに詳しく無いため、読まずにいた作品です。
フォロワー様の読了ツイートに惹かれて、読むに至りました。
表紙の絵からも分かるとおり、オーブリーの絵と言えば、この独特なタッチの線描。
世紀末の英国を妖しく彩ったイラストレーター。なんて言われたり。
当時オーブリー旋風が巻き起こったそうです。
相変わらずの、どこまでが史実なのか分からなくなる。
原田マハさんの史実に基づいた、リアルな物語は面白い!
サロメ あらすじ
現代のロンドン。
日本からビクトリア・アルバート美術館に派遣されている客員学芸員の甲斐祐也は、ロンドン大学のジェーン・マクノイアから、未発表版「サロメ」についての相談を受ける。
このオスカー・ワイルドの戯曲は、そのセンセーショナルな内容もさることながら、ある一人の画家を世に送り出したことでも有名だ。
彼の名は、オーブリー・ビアズリー。
保険会社の職員だったオーブリー・ビアズリーは、1890年、18歳のときに本格的に絵を描き始め、オスカー・ワイルドに見出されて「サロメ」の挿絵で一躍有名になった後、肺結核のため25歳で早逝した。
当初はフランス語で出版された「サロメ」の、英語訳出版の裏には、彼の姉で女優のメイベル、男色家としても知られたワイルドとその恋人のアルフレッド・ダグラスの、四つどもえの愛憎関係があった……。
退廃とデカダンスに彩られた、時代の寵児と夭折の天才画家、美術史の驚くべき謎に迫る傑作長篇。
出典 : サロメ (文春文庫)
病弱な青年だったオーブリー・ビアズリーは、イギリスの代表的作家で男色家のオスカー・ワイルドに見出され、「サロメ」の挿絵で一躍有名画家になった。
そして、このオーブリーとオスカーの関係は、オーブリーの姉や、オスカーの同性の恋人を巻き込み、四つ巴の愛憎関係に…。
オーブリー・ビアズリーとオスカー・ワイルド
オーブリー・ビアズリー
1872年8月21日 – 1898年3月16日
イギリスのイラストレーター、詩人、小説家。
バーン・ジョーンズにその才能を絶賛され、本格的に絵の制作をするようになる。
元々病弱であったオーブリーは、結核により25歳という若さで人生に幕を下ろします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/オーブリー・ビアズリー
オスカー・ワイルド
1854年10月16日 – 1900年11月30日
アイルランド出身の、詩人、作家、劇作家。19世紀に、数々の名作を遺した文豪。
両性愛者であり、恋多き生涯だったそうです。
その恋人たちは、美男美女が多く、相当な面食いであったと言われています。
そしてこの恋愛が、彼を破滅へといざないます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/オスカー・ワイルド
バーン・ジョーンズと共にオーブリー・ビアズリーの才能に目をつけていたのが、オスカー・ワイルドでした。
オスカーの英語版「サロメ」の挿絵をオーブリーが描くことになります。
「オーブリーの底知れぬ才能を発掘したのは自分である。」と鼻高々に宣言していたオスカーでしたが、オーブリーが描く絵の力に恐怖していたのもまた、オスカーでした。
芸術の裏の愛憎劇
芸術という面で、とても理解し合っているように見えるオスカー・ワイルドとオーブリー・ビアズリーですが、その裏にはとても恐ろしい愛憎がありました。
ここに巻き込まれていくのが、オーブリーの姉メイベル・ビアズリーと、オスカーの恋人アルフレッド・ダグラスです。
女優であったメイベル。
この姉メイベルがまた怖い…。
弟オーブリーへの執着。そして彼の立場を利用した狂気じみた行動。
もうこの男性陣の人生を翻弄した張本人、と言っても過言ではない狂気的な姉メイベル。
どこか気色悪く、妖しい…。
なのに、この妖しい光を放って崩壊していく様に、目が釘付けで読む手が止まらなくなると思います。
このオスカー・ワイルドが書いた「サロメ」。
この「サロメ」は新約聖書を元に描かれた物語でした。
そこに出てくる王女サロメは化け物などと言われています。
ですがこの王女サロメの本質こそ、人間の奥底にある暗く重い部分そのものなのでしょう。
今回、原田マハさんの【 サロメ (文春文庫) 】を読んで、オスカー・ワイルドの【 サロメ (光文社古典新訳文庫) 】もいずれ手に取ろうと思っています。